現在の腰痛治療に大きな影響を与えた文献

原点を知る重要さ

私が好んで優先的に読むタイプの文献は「現在の治療の問題提起をする」か「現在の治療に大きな影響を与えるきっかけを与えた」ものです。

臨床で「こう考える」という思考パターンは大抵の場合どこかに起源があります。
しかし我々が臨床思考する時に使う理論や仮説の原点はしばしば忘れ去られます。
自身の考えを批判的に見返す際に、どこからこの考えや偏見がきているのか知らないと情報の整理が難しく、苦労することになります。
一方で主張し始められた原点を知っていると、「この考えはこの仮説から派生したのか」「この仮定は現在の証拠から見れば間違っているのではないか」「元の考え方から派生される過程で随分考え方が変わってしまった」など理解することができます。また元々根拠があって生まれた理論なのかあくまで意見なのか、原点を辿らないと中々分からなかったりします。

例えば肩峰下インピンジメント症候群がいつから提案されたのかご存知でしょうか?
我々はいつの間にか原文を読まずに肩峰下インピンジメント症候群を身近なものとして受け入れました。

しかし言われているほど肩峰下インピンジメント症候群は一般的ではないかも知れません。というのも現在「腱板が何らかの構造に接触した後に摩耗するという因果関係の有力な説は証明されていない」と批判されています[1]。
多くの人がNeerのアイディア(原文)を直接読んでいれば肩峰下インピンジメント症候群が確実なものではなくアイディアの段階だと認識でき、考えを見直しやすく、もっと肩峰下インピンジメント症候群に批判的だったかも知れません[2]。

腰痛治療の原点

腰痛治療の考え方で現在推奨されることが多いのはBiopsychosocial(BPS) modelです。
(もしBPS modelを聞いたことがない方は↓を読むとBPS modelの理解に繋がると思います。)
”Biopsychosocial”という語は1954年に作られ1997年にGeorge L. EngelがBPS modelを提唱しました[3]。

用語解説「生物心理社会モデル(BPS model)」
Engelが1977年に提唱した概念で生物学的(B)、心理学的(P)、社会的(S)プロセスが、身体の健康と疾患に統合的かつ相互的に関与しているというものです[3]。明確な定義はありません。Biopsychosocial modelの略称で本邦では生物心理社会モデルとも表記されます。一方で生物学的な因子のみに着目するモデルをBM model(Biomedical model/生物医学モデル)と呼びます。

EngelはBPS modelについて聞いたことがある方なら誰もが知っているでしょう。
BPS modelを使用しているのであれば、「The need for a new medical model: a challenge for biomedicine.」は読んでおきたい論文の1つです。(ちなみに1997年前後にEngelはいくつか論文を発表しており、BPS modelの理解を深めるのに使えるので興味がある方は読んでみてください。)

BPS modelは元々腰痛について書かれたものではありません。痛みについて書かれたものでもありません。
BPS modelを腰痛治療に取り入れる大きなきっかけを作ったのはGordon Waddellです。

Spine誌に掲載された「A new clinical model for the treatment of low-back pain」は腰痛に対する理解に根本的な変化をもたらしました。BPS modelを利用する医療者がEngelの「The need for a new medical model: a challenge for biomedicine.」の次に読んで欲しい原点となる文献がこれです。

大まかな内容

腰部障害は1950年代から1970年代にかけて欧米社会全体で劇的に増加しました。しかし腰痛自体は障害ほど増加したわけではありませんでした。

Waddellはここで重要なことを言っています。

「腰痛と障害は区別されなければならない。」

臨床では痛みがなくなればそれに伴って障害もなくなる、障害は痛みが強いと生じる、痛みが障害を発生させると考えられていることがあります。そのような場合、障害をなくすために痛みを取るというアプローチが取られます。しかしそれでは腰痛による障害が、腰痛が増えるわけでもなく増加した説明がつきません。

では障害とはどのようにして起きるのか?こう説明されました。
「過去の痛みの経験だけでなく、その痛みの意味に対する患者個人の解釈、痛みが組織の損傷を意味するという仮定、痛みへの反応、管理、対処方法に関する医療アドバイスに基づく回避学習とみなすこともできる」

この主張は障害の治療において痛みだけに目を向けていることが不十分であることに気付かされます。
障害が医学的説明によって影響を受けた患者個人の解釈、反応、対処は障害の原因になっている可能性すらあります。医学の介入によって障害が増えているのであればそれは本来の目的とは全く逆のことをしていることになります。

さらに特定の治療法で症状が改善されたという個人的な主張はあらゆる治療法の間に、驚くほどほとんど差がなく、また臨床的意義がないほど小さいことも挙げられており、これら(他にも全部で主張は11個あったので原文を読んでみてください)を総合すると「腰痛に対する従来の医学的治療は失敗している」と判断されました。

障害の話から、痛みの意識的経験は、感覚と感情の両方の要素を含むかもしれず、心理的・社会的な影響が、個人の認識や反応に影響を与えることが理解できます。これはまさにBPS的な痛みの解釈です。

Waddellは「痛みを疾患の最も重要な要素、医学的治療の唯一の目的として強調しすぎないように」また、「痛みと障害を区別すること」「心理的苦痛や主観的症状に対する行動を身体的疾患(客観的な症状)のものと区別すること」を意識した上で、「治療を痛みの緩和だけでなく機能回復に向けるように」提言しました。

それに伴い、患者さんの役割も治療を受けるという受動的なものから、自分自身の進歩に責任を持つという積極的なものへと変化しなければならないという現在の疼痛管理の基礎とも関連してきます。

このような痛みの解釈は「ありそうでなかった」そうです。そして現代でもBPS modelを用いていない医療者はあまりこのような考えはしていないかも知れません。

ここで紹介したのは文献の中のほんの一部の情報であり、私の解釈もだいぶ混じっているので原文を読むことをお勧めします。

参考文献

[1]McFarland, E. G., Maffulli, N., Del Buono, A., Murrell, G. A., Garzon-Muvdi, J., & Petersen, S. A. (2013). Impingement is not impingement: the case for calling it "Rotator Cuff Disease". Muscles, ligaments and tendons journal, 3(3), 196–200.
[2]Neer C. S., 2nd (1972). Anterior acromioplasty for the chronic impingement syndrome in the shoulder: a preliminary report. The Journal of bone and joint surgery. American volume, 54(1), 41–50.
[3]Engel G. L. (1977). The need for a new medical model: a challenge for biomedicine. Science (New York, N.Y.), 196(4286), 129–136. https://doi.org/10.1126/science.847460
[4]Waddell G. (1987). 1987 Volvo award in clinical sciences. A new clinical model for the treatment of low-back pain. Spine , 12 (7), 632–644. https://doi.org/10.1097/00007632-198709000-00002

 

 

 

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