検査や介入をする”陰湿な”動機

より多い利益のためには不要な検査と治療を追加する人もいます。

または、個人の知識不足は、知識のギャップを埋めるよりも、簡単に繰り返し検査する方が安心感があるかもしれません[Greenberg J et al.,2014]

より多い検査や介入は「患者のため」という名目のもと、自身の保身や利益のために行われている現状があります。

予防医学が注目されている昨今このような陰湿な動機に基づいた医学的意義のない検査/介入に拍車がかかるかも知れません。

例えば腰痛を例にしてみると、来院した患者に対して、「再発予防のため」という名目で何度も繰り返し来院を促す様子をみかけるのは珍しいことではありません。
腰痛は再発率の高い症状であるため、腰痛の再発予防は結果的に、患者の健康状態や経済状態のために有益である可能性は十分あり、正当性がありますが、その手段が妥当ではないと思われることは稀ではありません。

現在骨格筋痛の多くは不確定性のもと行われていることを前提に、何でも好き勝手介入が許容されています。
これに伴った、経験の偶発性は過小評価され、自身の知識量は過大評価され、「僕の考えた最強の治療」が治療の主となっていることも珍しくありません。

時に、もはや患者目的が変わってしまい、柔軟性をひたすら永続的にあげる/維持する目的だけの通院、体幹筋を闇雲に鍛えるだけの通院、一時的な治療効果を実感するだけの通院といった依存した様子も見かけます。

これは医療従事者が患者の主訴をすり替えてしまうことにより生じます。患者は痛みを緩和しにきたとしても、いつのまにかこの痛みは柔軟性や体幹の弱さによるものと嘯かれ、患者の主訴は疎かにされます。

最も高い悪質性はこの医療従事者による行為が、明確な悪意もなければ信念もない、思考欠如による、それとも迷惑な善意による陳腐なものであることがあることです。

少なくともわたしの経験にだけ基づけば、多くの骨格筋痛に携わる医療従事者は治療効果やメカニズムの正しさに無関心で、治療の神秘性にばかり囚われてしまっているか故人のいうことにひたすら拘泥してしまうことがあるように見えます。

過去治療や検査は「多ければ多いほど良い」という価値観は支持されるものではなく、不要なものは不要と判断する能力が必要なのだと感じます、

参考文献

  • Greenberg J, Green JB. Over-testing: why more is not better. Am J Med. 2014 May;127(5):362-3. doi: 10.1016/j.amjmed.2013.10.024. Epub 2013 Nov 22. PMID: 24269325.

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