徒手療法におけるプラセボはもっと受け入れられるべきか?

腰痛における徒手療法に対する認識は医療従事者間でかなり大きな差があります。
中には「徒手療法やる意味ない」という人もいれば、必ず腰痛に徒手療法を使用し徒手療法で慢性腰痛は治せるという人までいます。
基本的にほとんどの慢性腰痛ガイドラインでは「徒手療法を補助として検討できる」としています。

このようなグラデーションの中で誰がどの考えに偏っているかはそれを判断する人がどう偏って考えているかに依存ため自身を中立とするのは烏滸がましい話でしょう。自分自身は徒手療法に何か偏った考えを持っていると考えるのが無難です。ここでは徒手療法肯定派か否定派は少なからずどちらかに偏っていると考えて読んでもらえたらと思います。

徒手療法の有効性や理論にはに関しては相反する意見や激しい議論を生んできました。
例えば徒手療法によって腰痛が治った(少なくともそのように見える)経験はほとんどの人が持っていると思います。私自身そういう経験もしてきました。

一方で、徒手療法におけるほとんどの理論は仮説のままです。カイロプラクティック、理学療法、オステオパシーなど様々な理論があり、実際臨床家には徒手療法の理論(関節の偏位が〜など)やメカニズム(ストレッチは〇〇抑制によって〜など)は確立されていると勘違いされがちですが、不十分な調査や、個人的な意見によって推進されたものです。そしてほぼ全ての徒手療法の慢性腰痛に対する効果の検証は証拠の質の低さから検証が難しいとされたり、効果が低い/ないと判断されています。

このような経験と検証の相反する効果性は我々の解釈を困難なものにします。

徒手療法肯定派が受け入れたいプラセボの側面

まず前提として前述したように徒手療法における多くの理論は仮説、または不十分な理論であることを認識する必要があります。
・スタティックストレッチの作用機序
・マッスルエナジーテクニックの作用機序
・PNFの作用機序
・鍼の作用機序
・筋膜リリースの作用機序
・脊椎マニーピュレーションの作用機序
・関節モビライゼーションの作用機序
・マッサージの作用機序
などなど無数にある徒手療法の作用機序は多くの人が長い年月をかけて考察・検証し、その作用機序を提唱してきました。

このような優れた考察能力のある医療者らによる理論は崇高なものに見えるかもしれません。
徒手療法はその技術を完成させるために多くの時間を費やしてきたため、主要なメカニズムとしてプラセボを予想することに悩む方もいるでしょう[2]。例えば筋膜リリースを臨床的に行っている人は、「手技によって筋膜の癒着を剥がし滑走不全をなくし痛みの原因を取り除く」と考えているかもしれませんが、実際に筋膜リリースをして改善した痛みは、プラセボや他の鎮痛メカニズム(例えばDNIC/CPM)が寄与している可能性があり、「筋膜の癒着を剥がすうんぬん」というのは本当にあり得る話なのか?と元の主張を批判的に考えることを避けてしまう人もいると思います。

これはあくまで私の考えですが、特定の徒手療法の理論が医療従事者に支持される理由として重要な要素は理論の正しさではなく、「すごいことをやってる感」「神秘的なことをやってる感」だと思うことが多々あります。
例えば、
・筋膜リリースが支持された背景には「筋膜」というこれまでほとんど注目されなかった組織に目を向け、さらにその組織を徒手的に変化(筋膜を剥がすなど)させることができるというなんとなくのすごい感。
・脊柱マニピュレーションが支持された背景には脊椎の少しの偏位が体のあらゆる部位の痛みの原因となるという神秘さ。
・ストレッチをする際に神経学的な筋抑制を考慮し人体の神経反射を操作しているすごい感。
・マッサージでは組織に圧力を加えるだけで対象組織の血流が増加し、筋が弛緩し、短縮がなくなり、時に筋機能が改善するという万能感。
このような説明は大抵正しいとは言い難いですが、もしメカニズムがこれらのような説明ではなくもっと凡庸と感じるような説明(例えば「手の痛みがある時には足の痛みが弱くなるのと同じように鎮痛が起こる(DNIC/CPM)」)が用いられていればこんなに流行らなかったのではないかと思います。
プラセボはこのようなすごさを感じるような説明比べ凡庸と感じ、自身の行っている治療がプラセボによるものと受け入れるのは納得しにくいものがあるというのは邪推でしょうか。

また自身が今まで行ってきた治療の根拠となる作用機序が不確かなものであるというのも感情的にも受け入れにくいものかもしれません。仮に今まで信じて行ってきた徒手療法の理論が間違いだったと仮定すると、これまで積んできた経験論は一部訂正しなければなりません。
例えば、姿勢を腰痛の原因と考え姿勢を変化させるためにストレッチを使うという人がいます。
「姿勢の変化には筋の短縮が影響しており、ストレッチによって短縮した筋の構造が変化し筋長が伸び、姿勢が修正され腰痛が改善する」というのは臨床家が考える理屈として珍しくないものです。
一方でこの理屈が正しいと説明するには必要な証拠がいくつかあります。

①姿勢は腰痛の原因になるか?
②日常生活を送っていて姿勢が変化するほど筋は短縮するか?
③ストレッチによって短縮した筋の構造が変化するか?
④ストレッチによって姿勢は変えられるか?

この理屈でストレッチをする人は、このような証拠を持った上でこの理屈を信じているのか、それともなんとなく正しく聞こえるから信じているのかどちらでしょうか?(徒手療法の根拠は現在まとめ中でいずれ記事にします)

臨床的にはこのように考え介入し腰痛が改善したら、この理屈が正しいと思ってしまいます。そしてこの考えを別の疾患にも適用させるでしょう。
しかしもしこの理屈の中で1つでも誤り(例えば①②③④)が含まれていたら、この論理は成り立たなくなります。そうなれば臨床の見直しが腰痛だけではなく、他にこの考えを適用させた治療すべてで必要になります。もし誤りが1つであるならなんとかなるかもしれませんが、臨床ではこのようなことはいくつもあり、理論上の誤りを受け入れるというのは思考し直しが無数に生まれる厄介さがあります。

しかし、このように感情的に困難なものに立ち向かわなければ健全に思考することはできません。

徒手療法肯定派が是非受け入れたいプラセボの側面は、提唱されている理論通りのメカニズムで徒手療法が作用しているとは限らず「プラセボ効果は徒手療法の重要なメカニズムであること」です[2]。
プラセボというと心の問題というような印象があるかもしれませんが、プラセボ反応は神経生理学的効果です。

前述した「姿勢の変化には筋の短縮が影響しており、ストレッチによって短縮した筋の構造が変化し筋長が伸び、姿勢が修正され腰痛が改善する」という理屈が仮に正しくなかった場合に、プラセボだったかもしれないという考えを巡らす心構えが必要です。

徒手療法否定派が受け入れたいプラセボの側面

徒手療法は作用機序は解明されていないかもしれませんが、臨床的に効果が見られることは往々にしてあります。
この臨床現象は現実のものであり、実際にその徒手療法に(特異的な)効果があるかないかに関わらず徒手療法に効果があるように見えます。

この臨床現象は治療における補助手段であることに変わりありません。そしてメカニズムはどうであれ、その患者にとって徒手療法が他の治療より高い効果を発揮するケースは経験的に存在します。そのケースでは補助ではなく、主ともなり得ます。

EBMの文脈でよく言われている話なので詳しくは説明しませんが、EBMは科学的証拠にのみ基づいたものではありません。
利用できる最良の証拠のみに基づいていても最大の結果が得られるわけではありません。

この時考えなければならないのは、科学的証拠以外に具体的にどの要素が臨床判断に必要になってくるか?です。
EBMの書籍を読むとEBMは「利用可能な最高の研究証拠、患者の価値観と好み、臨床の専門知識」によって構成されており、最高の研究証拠は臨床的に関連性のある研究、臨床の専門知識は、臨床技術と過去の経験から、各患者の固有の健康状態と診断、介入や検査のリスクと便益、個人的な価値観と期待を迅速に識別する能力と説明されます[3]が、これらはどのような医療にも言える共通点であって、具体的な説明ではありません。

しばしばこのEBMを構成する3つの要素は「証拠だけではわからないこともある」と証拠を無視し、経験で効果は明らかと自分の好きな治療をするために悪用されることがあります。このようなことが起きないように具体的にフォーカスするポイントを明らかにしていくことがより良いEBMに必要だと考えます。

そして具体的な考慮事項の1つがプラセボでしょう。
慢性腰痛に対する鍼治療を考えてみます。鍼治療に馴染みのない方は他の治療に当てはめて考えてもokです。
慢性腰痛に対する鍼治療の効果は現時点で言えば「治療直後の痛みの緩和や短期的なQOLの改善において、シャムよりも臨床的に意味のある役割を果たさない可能性がある」[4]とされています。
(このコクランレビューには異議も唱えられています[5]が今回の内容とはあまり関係がないのでここでは言及しません。興味がある方は参考文献[5]を参照してください。もしかしたらいずれ触れるかも)

端的に言えば鍼がシャムと比べてほとんど効果に差がないとされています。
そのため慢性腰痛に対する鍼は検討できますが推奨度は高くありません。では検討するのはいつなのか?というのが問題になってきます。

期待はプラセボ鎮痛に影響を与えことがわかっており[2]、鍼に大きな期待がある場合にはプラセボ効果が増大すると考えられます。
鍼でもシャム(偽鍼)でも患者が鍼を受けていると思えば鍼に期待する患者のプラセボ効果は増大します。
鍼もシャムも効果が増大するため鍼とシャムの効果量の差はあまり変化しません。そのためプラセボによって効果が高くなっても鍼とシャムの差で治療効果を考えるとほとんど効果がないと判断することなります。

しかし総治療効果は高くなっています。
このような場合、効果量の差(鍼の効果量-シャムの効果量)では他の治療よりも下かもしれませんが、総治療効果では他の治療より高くなることも考えられます。

日本は文化的に鍼が自分に効果があると考えていることが間間あります。
鍼が自分に効果があると考えている患者に対してはプラセボにより総治療効果が増大するため使用を検討する価値が上がります。

以前、「『マッサージを受けにきたんです』思うように治療を勧められない時の医療面接」という記事を書いてそこで、医療者は患者の求めるリラクゼーションマッサージを嫌悪してしまうことがあると触れましたが、患者がリラクゼーションマッサージに期待を寄せているのであればリラクゼーションマッサージの総治療効果が他の治療を上回ることもあり得ます。

そういった点ではリラクゼーションマッサージは嫌悪するようなものではないのでしょう。
徒手療法否定派が是非受け入れたいプラセボの側面は、効果がないまたは小さいと言われている治療、やるのが無駄だと思っている治療でも「プラセボ効果によって他の治療効果を上回ること」です。

もちろん、プラセボばかりに目を向けると患者にとって有益な治療を受ける機会損失になるため、気をつけなければなりませんが、この点でプラセボを受け入れていくのが良さそうです。

ちなみにKarasらは臨床治療の選択肢に関して 「どちらが良いか」 という議論を乗り越えて、パラダイムの更新が必要であるかもしれないことを提案しています[1]。私はこれに賛同しませんがこういう議論と思考はどんどん展開されていくのがより良い医療につながる気がしています。

参考文献

[1]Karas, S., Mintken, P., & Brismée, J. M. (2018). We need to debate the value of manipulative therapy and recognize that we do not always understand from what to attribute our success. The Journal of manual & manipulative therapy, 26(1), 1–2. https://doi.org/10.1080/10669817.2018.1426241
[2]Bialosky, J. E., Bishop, M. D., & Penza, C. W. (2017). Placebo Mechanisms of Manual Therapy: A Sheep in Wolf's Clothing?. The Journal of orthopaedic and sports physical therapy, 47(5), 301–304. https://doi.org/10.2519/jospt.2017.0604
[3]Straus, S. E. (2019). Evidence-based medicine: How to practice and teach Ebm. Elsevier.
[4]Mu, J., Furlan, A. D., Lam, W. Y., Hsu, M. Y., Ning, Z., & Lao, L. (2020). Acupuncture for chronic nonspecific low back pain. The Cochrane database of systematic reviews, 12(12), CD013814. https://doi.org/10.1002/14651858.CD013814
[5]https://bmas.blog/2020/12/21/acupuncture-for-clbp/

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