医療従事者は"情報の取り扱い"に慎重にならなけらばなりません。
医療業界に存在するあらゆる理論や治療法は
「検証せずに確信していることが多くないか?」
ーLudwig Wittgenstein
という問いに対して、YESと言わざるを得ないものです。
例えば医学書や医学雑誌、その他情報サイトに記載されている治療法の検証された効果性まで記載されていないことはよくあります。
そのような治療法は効果性が不明瞭です。にも関わらず医学書に記載されている治療法は拡大解釈され「効果がある」と認識されてしまうことがあります。
また書籍によっては不明瞭な治療法でさえ「効果がある」と断定的に説明されていることがあります。
トゥールミンモデルに基づけば主張には『限定詞(Qualifier)』、つまり「かもしれない」「思われる」「考えられる」「推測される」などといった主張の妥当性を加えることで、効果性が十分検証されていないことを表すことができますが、誇張され断定されていることがあります。
情報発信者は情報の伝わり方に十分注意する必要があり、情報の受取手は情報の健全さに注意する必要があります。
同時に、
「すべての知識は暫定的、一時的なものであり、いつでも反論できるものである」
ーKarl Popper
のも確かです。
確実に正しいと言える情報はなく、現時点において正しいだろうという情報があるだけです。
そして情報は「いつでも反論できるもの」である必要があります。
反証できないものは似非医学の特徴です。
医学は反証できる必要があります(反証可能性/Falsifiability)。
反証できるとは「誤りを確認できる」ということです。
言い換えれば、どの証拠があれば自身が正しいと思っている理論を覆すことができるかを言語化できる必要があります。
常に自問する必要があります。
「私が間違っていることを私に納得させる証拠は何ですか?」
答えが「何もない」場合、あなたは科学や論理の規則を順守していません。
「ほとんどの人は、自分が間違っているという証拠に直面した時、自分の見方や行動方針を変えることはなく、さらに粘り強く正当化します。反駁(論じ返すこと)できない証拠でさえ、自己正当化の精神的鎧を突き破るのに十分なことはめったにありません」
ーDr. Carol Tavris
反証ができない理論はその時点で不適切であり、我々は反証できる余地を残したまま情報を精査していく必要があります。
哲学者ポパー(Karl Popper)は科学か否かの線引き(いわゆる線引き問題/Demarcation problem)について、理論の真偽ではなく、反証可能か否かで判断されると考えました(Ref)。
例を挙げてみると、例えば「骨盤矯正」に定義は存在しません。骨盤矯正に関して積極的に議論を行ったとしても、骨盤矯正が何かを語らなければ反証することはできません。
しかし骨盤矯正が何であるか語られてはおらず、人によって異なる都合の良いものであるため、骨盤矯正は反証可能性がないと言えます。
もちろん、ここに記載されていく情報も、「間違っている可能性」を常に意識しながら見る必要があります。
間違った情報が問題ではありません。誤りは直せば良いのであって、さらに言えば誤ることは当たり前であって、誤りをたえず書き改めてゆく営みが大切です。
さらに言えば反論と批判が進歩するために必要な条件です。
問題なのはだれかが誤って書いたものをなにも考えずに受けいれたり、誤りであることが判明しても、直しもしない場合です。
同時に反論と批判を抑制しようとする運動も同様に、誤りを正さないことを誘発してしまうため悪性があります。
(最近、批判する人は暇な人というような論調を聞くことがあります)
情報の正しさは、この情報がどれだけ正しい可能性があるかという常に"確率"の問題です。
例えば医学論文を検索するために、PubMed(Ref)を用いられることは珍しくありません。
しかしながら、「Evidence-Based Medicine 5th Edition How to Practice and Teach EBM(Ref)」に基づけば、
「PubMedで検索された論文は、品質や臨床的な関連性について "事前評価 "されておらず、検索では通常、真のものよりも "偽の "ものが多くヒットする」
ことが指摘されています。
このことは"1次情報にアクセスし情報を精査する"ことの難しさを表しています。
「1次情報を確かめなさい」とはよく言われることです。
臨床家が1次情報にアクセスにアクセスし、情報を精査するというのは一見正しく思えますが、いくつか問題があります。
多くの臨床家は1つ1つの情報についてイチから調べ直すリソース(時間とお金)は存在しないことは珍しくありません。
また人は公開されたデータ、環境、経験などから情報を判断しますが、共通点は入手可能なデータに基づいて判断している点であり、最も簡単に入手できるデータに偏って頼ろうとする傾向が生じます。
臨床家は頭に浮かびやすい疾患情報によってその可能性を過大評価することになります(Ref)。
それから情報を精査するには高いスキルが必要です。
Pubmedを使い情報を調べることでむしろ臨床が悪い方向にいくことも十分考えられます。
そのため「1次情報を確かめなさい」は正しいですが理想論にすら見えます。
学習戦略(Learning strategy)
大切なことは常に1次情報の論文に基づいて臨床を行うことがEBMではありません。
EBMには3つのモードが存在します(Ref)。
・Doing mode
・Using mode
・Replicating mode
臨床家は自身の現在の状況に基づいて、この3つのモードを行き来し、臨床に役立てることができます(これについては後述します)。
全ての人がすべての1次情報を確認していません。
より重要なことは今現在自分がもっている情報がどのモードに基づいたもので、正確性がどの程度か常に把握しておくことです。
「21世紀に重要視される唯一のスキルは、新しいものを学ぶスキルである。それ以外は全て時間と共に廃れていく」
ーPeter Drucker
その上で重要なのは知識ではなく、学習戦略(Learning strategy)です(Ref)。
情報過多(Information overload)な現在、重要な情報の見落としを防ぐ方法は強い関心が寄せられています。
そしてそれに合わせ、推奨される情報収集の仕方は時代と共に変化しています(Ref)。
学習戦略すら常に学習し続ける必要があります。
話を戻して、EBMの3つのモードを紹介します。
Doing mode
「Doing mode」は「わからないこと、知りたいこと(予防、診断、予後、治療、原因など)を"答えられる質問"に変換し、質問に答えるための最良のエビデンスを探し出し、エビデンスの妥当性、影響力、適用性を批判的に評価し、批判的評価を、自分の臨床的専門知識と、患者のユニークな生物学、価値観、状況と統合すること」を指します。
またここには「統合した情報の効果と効率を評価し、次回に向けての改善策を模索する」ことを含めることもできます。
Using mode
「Using mode」は上記した「Doing mode」の内、「エビデンスの妥当性、影響力、適用性を批判的に評価する」ことをスキップします。
つまり「わからないこと、知りたいこと(予防、診断、予後、治療、原因など)を"答えられる質問"に変換し、質問に答えるための最良のエビデンスを探し出し、自分の臨床的専門知識と、患者のユニークな生物学、価値観、状況と統合すること」です。
「Doing mode」より「Using mode」の方が批判的評価がない分、情報の妥当性は弱くなります。
Replicating mode
「Replicating mode」の"Replicating"は「複製」を意味しています。
これはオピニオンリーダーの決定に従うモードです。
このモードでは「質問に答えるための最良のエビデンスを探し出す」ことと、「エビデンスの妥当性、影響力、適用性を批判的に評価する」ことをスキップします。
このことから「Replicating mode」は3つのモードの中で最も妥当性の低い方法になります。
考慮事項
すでに前述しましたが、個人がこれら3つのモードのどれかに当てはまるのではなく、この3つのモードを行き来して臨床に出ることになります。
言うに及ぶことではありませんが、臨床で必要な知識量は各項目によってことなります。
重要なことはどの知識はどれだけの妥当性があるかを自ら認知し、調べ直す/詳しく調べる必要性を掌握していることです。
情報収集方法
これらのモードを適切に活用するために、ここではまず、臨床に関連するすでに評価された比較的信頼性の高い情報を簡単に収集する方法と簡単な情報の精査の仕方から紹介します。
[サンプル動画]
サブスクリプション内の動画は18分16秒の解説動画と文章による補足です
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