従来の健康の定義と問題点
WHOは「健康とは、肉体的、精神的及び社会的に完全に良好な状態であり、単に疾病又は病弱の存在しないことではない。(Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.)」と定義した[1].これは健康の身体的側面だけでなく,精神的社会的側面も包含している面で画期的だった.
しかしこの定義は1948年のもので,これまでの間に批判を受けてきた.
主要な批判は以下の3つである.
1.「完全な健康」要求が医療依存を増加させる
2.慢性疾患と共生する人を「不健康」とみなす
3.「完全な健康」は測定・実用が困難
新たな健康の定義の案
このような批判を受け,2011年に新たな健康の定義が提唱された[2].
「社会的、身体的、感情的な困難に直面しても、適応し、自己管理する能力(The ability to adapt and to self-manage, in the face of social, physical and emotional challenges.)」
この定義では"適応能力と自己管理能力"が重要な要素となっている.
人は単なる疾病の存在ではなく,健康へと向かう大きな可能性を秘めていることが強調されている.ここでは人の弱点ではなく強みに焦点を当てることが重視される.また自己管理の重要性を示しており,個人が自らの健康に責任を持つことを意味する.さらに,健康とは静的な状態ではなく絶えず変化する動的なものであると主張されている.こうした考え方は患者と医療従事者との関係をより対等でバランスの取れたものにする可能性もある.
一方で新たな定義の提案には以下の様な懸念があることも注意しなければならない.
この概念は健康だけでなく人生全体に関わるものであり,その範囲は非常に広いものとなっている.そして,健康とは単に疾病がない状態であるという従来の考え方を否定している.しかし,この考えを実践するには相当な個人的努力が求められ,本当に誰もがそれを行えるのかという疑問も生じる.また,個人に責任を課す側面が強く,すべての人がそれを望んでいるのかという懸念もある.さらに,この概念は実際の疾病の重要性や影響を軽視しているようにも受け取られるかもしれない.
痛み治療にも応用できるか
ここ20~30年の間に痛みを身体的な問題よりもより広い概念として解釈しようとする試みがあった.
その一つが1977年に提唱されたBPS modelであり[3],生物学的・心理的・社会的側面を含めた痛みの解釈が広まった.
BPS modelの痛みへの適用は特に慢性痛で試みられている.
新たな健康の定義も従来より慢性疾患を意識したものとなっており,慢性疾患と共生することを健康に含めている.
慢性腰痛のように治りにくく,治癒する方法も見つかっていない問題に関しては新たな健康の定義のような考え方が適しているかもしれない.
つまり慢性腰痛のような治りにくい慢性痛治療は「単に痛みの存在しない」状態を目指すのではなく,「社会的,身体的,感情的な困難に直面しても,適応し,自己管理する能力」を育むことに焦点を当てることが適切なのかもしれない.
言い方を変えると,治療の目標は痛みを治すことではなく,健康になることである.
しかし,健康の定義の問題にあるようにこの考えを実践するには相当な個人的努力が求められ,本当に誰もがそれを行えるのかという疑問も生じる.
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[2]Huber, M., Knottnerus, J. A., Green, L., van der Horst, H., Jadad, A. R., Kromhout, D., Leonard, B., Lorig, K., Loureiro, M. I., van der Meer, J. W., Schnabel, P., Smith, R., van Weel, C., & Smid, H. (2011). How should we define health?. BMJ (Clinical research ed.), 343, d4163. https://doi.org/10.1136/bmj.d4163
[3]Engel G. L. (1977). The need for a new medical model: a challenge for biomedicine. Science (New York, N.Y.), 196(4286), 129–136. https://doi.org/10.1126/science.847460