「本を読む」に関してTwitterでこんな意見を見かけました。

たくさん本を読むことが凄いって風潮があるけど、私は、たくさん本を読むのは【しっくりくる本を探すための作業】だと思ってる
読むと、人生や行動、気持ちが良い方向へ変わるくらいの本と出会ってしまえば同じのを何百回と読んでもよいと思う開いた本
あなたが良き本に出会えますように
ふじまるさんのツイートから許可を得て引用

本を探すための読書って面白いなー
なんて思ったのはそういえば私は、良書を探すための読書ってのをしてないなーってこれで気づいたからです。
量より質とはいうけれど、良い質の為には量が必要と似たものを感じます。
どちらかというと私は1冊読んでそれについて思考を3日〜1週間巡らすってことが多いです。

ファクトフルネス」みたいにめちゃくちゃ考えさせるものについては細かく1ヶ月くらい考えていたと思います。
※ちなみに「ファクトフルネス」はオーディブルだと無料で手に入ります。
これは私が尊敬する森博嗣さん(森さんの小説1冊も読んだことないけど)の著書「小説家という職業」にこう書いてあったからです。
本を沢山読む人から話を聞くと、多くの人は、ただ本をひたすら読むだけで満足している様だ。もの凄く沢山の量を読む。僕の場合、1冊読めば1週間はそれについてあれこれ考えたくなる。そういう時間がないとバランスが取れない。(中略)「本の虫」という言葉があって、読書家を示す。この言葉はもともとは悪いイメージのもので、「知識を得るだけで、それを実践できない」という問題を揶揄した表現だったが…
この主張とふじまるさんの主張は相反しません。
森博嗣さんのこの主張はもはや本を読み知識を得るだけ(=本の虫)あるいは得ようともしない(=文字を読むだけ)ことが目的となっている行為に対して言っているのに対して、ふじまるさんの読書の一面は「しっくりくる本を探すための作業」が目的で、もはや次元が異なるからです。
そうかそうか。と言葉の上ではこう分けることはできるのですが、この森さんとふじまるさんの良いとこどりってのが案外難しいのだろうなあと10分くらい悩みながらこの記事を書き始めました。
なぜならどんな本にでも深く考えるポイントってのがあるからです。
ふじまるさんのいう「しっくりくる」が本単位ではなくても、段落単位とか文単位で見ればどんな本にも大抵あります。
別に本に限らずTwitterでも気になる文があればそれについて何時間も考えてみたりってこともあります。
だから「しっくりくる本を探すための作業」のための多読ってのが難しくなるのです。
で、思いついた解決案というが、本と本を分断しなければいいんじゃないかってことです。
ある本とある本は分かれてない前提のもと、文単位で多読する。
もはや1冊読んだなんて概念を自分の中から無くしてしまう。
それならいいとこ取りできるなあと。
実際自分が良書だと思った本でも、その全てが良いと思う訳ではないですからね。
ってことで、ふじまるさんのツイートから結局合計で20分くらいこんなことを考えたという話でした。

そりゃ本読んだら1週間は考えるわ

-note記事まとめ-

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