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痛みのその先にある目標


私は日頃、疼痛についての情報発信をしています。

そこで「疼痛疼痛疼痛疼痛疼痛疼痛疼痛疼痛疼痛疼痛疼痛疼痛疼痛疼痛疼痛疼痛疼痛疼痛疼痛疼痛疼痛疼痛疼痛疼痛疼痛疼痛疼痛疼痛疼痛疼痛疼痛疼痛疼痛疼痛疼痛疼痛疼痛疼痛疼痛疼痛疼痛」と連呼しているのですが、疼痛治療の観点から言えばこれは適切とは言えません。

疼痛治療で重要なことは「治療は疼痛にフォーカスするが、疼痛をフォーカスしすぎない事」です。

訳の分からなさがあると思うので解説していきます。

因みにこの記事を書くきっかけになったのは、

という経緯からです。

痛みは悪くない

痛いことは悪いことでしょうか?

痛みは苦痛でしょうか?

痛みには種類があります。

よく使う痛みの英語表現89選海外でいざという時、または英語しか喋れない患者さんが来た時、痛みの英語表現を覚えておくと便利です。 痛み表現は日本語でさえ難しいですが...

心地よいと感じる痛みもあれば、不快なものもあります。

例えば、口内炎や口の火傷を不快と思わない人もいると思います。

ある人に叩かれるのは嫌でも他の人に叩かれるのは嬉しいという人もいます。

痛みの感じ方は人それぞれであり、さらに他人との関係性も痛みの感じ方に影響することが分かります。

そもそも痛みの定義からいえば

実際の、または潜在的な組織損傷に関連する、またはそのような損傷の観点から記述される不快な感覚的および感情的経験。(原文: An unpleasant sensory and emotional experience associated with actual or potential tissue damage,or described in terms of such damage.)

「痛み=不快なもの」

であるため、不快でないものは痛みではなかったりします。

つまり痛みを感じていても不快でなければ痛みではないです。

より理解を深めたい方は↓

痛みの捉え方は多様であり、例えばNRS(痛みを0-10の強さで評価する方法)がありますが、例え同じ痛みであっても人によって表現する数値は変わります。

痛みの強度の評価法毎の違い【NRS・VRS・VAS】痛みの強度(pain intensity)の評価方法はいくつかあります。 その中で良く使う3つの評価方法(スケール)をここでは紹介し、...

では痛みを他の人に比べ過剰に認識してしまう人は、痛みが弱いかと言われたら、そうではなく、その人の感情や感覚的には大きな痛みです。

ある人は大きな傷を負って、本人は痛みの強さをNRS5と言ったとします。

またある人は小さな傷を同じ場所に負って、本人は痛みの強さをNRS7と言ったとします。

どちらが痛みが強いでしょうか?

客観的にみれば、大きな怪我を負った人がより痛みを感じているように見えますが、痛みは主観的なものであって、客観的に観察できるものではないため、より痛みが強いと表現した小さな傷を負った人の方が強いかも知れません。

痛みというのは、ある刺激を本人がどう認識し、どう理解するかで変化します。

もう少し視点を変えて腰痛を持った2人を例に、より痛みを深掘りします。

AさんもBさんも腰痛を持っていました。

2人ともNRS5の痛みを持っています。

彼らの痛みは同じものでしょうか?

Aさんは腰が痛くて仕事に集中出来なくて困っていました。仕事効率は痛みと共に落ちていきます。

Bさんは仕事に集中すると痛みを感じないことを認識していました。そのため、腰痛を利用して仕事効率はかなり高いものでした。

同じNRS5の人でもこれだけの違いが出ます。

このBさんのように痛みをコントロール出来るかどうかが痛みでは重要です。

「コントロール」という言葉が出たので、痛み管理に必要な「controlability(制御可能性)」と「predictability(予測可能性)」を紹介します。

上記のBさんの様に、痛みが出た時にそれを利用できたり、どうすれば痛みが減るか分かっている場合は痛みのcontrolability(制御可能性)が高いと言えます。

反対にBさんのように痛みで仕事効率が落ちたり、どうすれば良いか分からなくなってしまう人は痛みのcontrolabilityが低いと言えます。

controlabilityの高さは、その患者の感情に直接影響します。

controlabilityが低いとより不快さを増加させます。

もしかしたらcontrolabilityの低さはNRSの数値の申告を高くするかも知れません。

controlabilityに似たものにpredictability(予測可能性)があります。

どんな時に痛くなって、どんな時に痛みが減る(無くなる)のか分からない人はpredictability(予測可能性)が低く、反対に痛みがどんな時でるか把握してる人はpredictability(予測可能性)が高いといます。

私はしばしば、痛みのスイッチを患者が持っているか?と表現することがありますが、これは「痛みのスイッチを持っているかどうか=predictabilityの高さ」という事です。

predictabilityの低さも患者の不快度を上げます。

そのため、controlabilitypredictabilityの低さはどちらも、痛みの定義にある「不快な」を増加させます。

因みにこのcontrolabilitypredictabilityは疼痛治療効率を上げます。

例えば最近の運動療法はこのpredictabilitycontrolabilityを増加させることを一つの目的としています。

さらにcontrolabilitypredictabilityの低さは運動恐怖(キネシオフォビア)や不安を発症する可能性もあります。

痛みへのフォーカスが強すぎたり、controlabilitypredictabilityが低いと患者は「痛いからこれができない」ではなく、「痛いから動きたくない、何もしたくない」という思考に変化することも考えられます。

これは明らかに、痛みをコントロールできず、痛みにコントロールされている例です。

だからこそ、痛みばかりに囚われるようにフォーカスし過ぎるのはよくないのです。

痛みへの強いフォーカスは患者と施術者の関係にも悪影響を及ぼします。

疼痛治療をする際に、「疼痛をなくしていくこと」を目標にするのはリスクを伴います。

信頼度の上昇は疼痛治療成績に反映するため、「痛みは殆どの場合なくなる」と伝えることは必要です。

しかしまず目標を痛みを無くすことにすると、疼痛が変化しにくい時には、施術者の言ったとおりにならなかったとLOSE-LOSEの関係になります。

さらにこの場合は患者が痛みがあるうちは不必要であっても医療機関に通い続けてしまうこともあります。

「たまに痛みがでるから通おうかな」など。

そうして生み出された結果が前回紹介した「不安障害」です。

医療従事者の親切心が患者を慢性不安障害にした事例ここで話すことは稀なことではないと私は考えています。 患者は結果的に強い不安障害を発症しましたが、これは一般的な親切で人に寄り添え...

しかし、controlabilitypredictabilityベースからフォーカスすれば例えその人の痛みが取れなくても、取れないことが問題ではなくなります。

言ってしまえば、疼痛が不快な感情的感覚的なものから、「不快」を取り除けばそれが一つのWIN-WINになります。

その上でさらに疼痛治療をしていくのも選択肢としてはあります。

このようなアプローチは疼痛治療の一つの形ですが、基本は患者の痛みに対する過剰な信念があればそれを変化させ、その上でインフォームドコンセントに基づいて同意の上治療するのがベストだと私は考えます。

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